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鏡による相聞歌  吉野弘

あなたは鏡
わたしをとりこにしていながら
わたし自身を一歩も踏み込ませない

無理にあなたに入ろうとすれば
わたしより先に皹が入る
鋭い裂傷・拒絶の柵が
わたしの前に立ちふさがる

わたしは鏡
あなたをとりこにしていながら
あなた自身をとりこにしてはいない

あなた自身をとりこにしようとすれば
あなたの愛の踏み込んでくる
力ずくな一瞬を待つほかない
そのときあなたから受ける傷
わたしの仮の拒絶の柵
あなたがくぐらねばならぬ柵
それなのに
あなたは立ちすくんでいらっしゃる
砕かれることさえ
わたしは恐れてはいないのに



1月24日の今日、詩人の吉野弘さんがお亡くなりになられました。
数ある詩の中から、私の好きなこの詩を綴ります。
愛ある優しい詩人でした。謹んでお悔やみ申し上げます。

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# by daybreak-of-gaia | 2014-01-24 10:56 | こころのおと

無題☆ハイネ

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わかれには 
おたがいに
こいびとは
てをかわし
なきぬれて
ためいきは
いつまでも
つきぬもの

わかれには
ぼくたちは
なきもせず
ためいきも
でなかった
そのあとで
なきぬれた
せつなくて


”映画の旅”をすることが好きな私は、「男と女」のロケ地、
ここ北フランスノルマンディー地方にあるDeauville (ドゥーヴィル)の海岸にも行きました。
ただただ。。。せつなくてせつなくて。。。


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# by daybreak-of-gaia | 2014-01-23 23:07 | こころのおと

雲路の果て

名護でジュゴンの海を守る活動をされている、私の尊敬するMさんのことを思っていたら、Coccoの”ジュゴンの見える丘 ”のメロディーが浮かんできました。これからも厳しい戦いが続くでしょうけれど、なにはともあれ、稲嶺名護市長当選、おめでとうございます。3月には祝杯をあげに逢いにゆきますから。

先日、今の私の心境を思って、年下の大好きな友人が、奇しくもCoccoの”雲路の果て”の歌詞(リフレイン部分)を贈ってくれました。涙が溢れます・・・でも、この”綾の森”の奥にひっそりと咲く凛とした優しさをもつササユリのように、私は私の心に折り合いをつけます。もうじきですから・・・それまで、どうかあたたかく見守っていてくださいね。

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雲路の果て


ちぎれた空の波間から
こぼれさす光の道しるべ

近づいていく静寂に
やわらいだ縁どりが燃えてる

昔 見た聖書のページを
想い出すと あなたが笑った

この目さえ
光を知らなければ
見なくていいものがあったよ
からだが
あなたを知らなければ
引きずる想い出もなかった

六弦を奏でる指は
わたしだけ守るには幼く

くちづけは花びらに埋もれ
砂を噛むようにベルが鳴る

踊り子は悲しみを纏い
つぶれた足 舐めては歌った

この目さえ
光を知らなければ
見なくていいものがあったよ
からだが
あなたを知らなければ
引きずる想い出もなかった

ひかり舞う届かない海で
あふれる夜にあなたが見えるよ

小鳥が
声を殺していれば
あの時翼が折れてたら
あなたが
わたしを抱いていたら
今でも溶けあっていられた

この目さえ
光を知らなければ
見なくていいものがあったよ
からだが
あなたを知らなければ
引きずる想い出もなかった
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# by daybreak-of-gaia | 2014-01-20 10:58 | こころのおと

平安の色

今日は朝から「源氏物語」を読む。年をかさねるごとに、まったく新しい断面を「源氏物語」に発見する。

あの高貴な六条御息所が、誰に訴えるすべもなく漆黒の闇に閉ざされ、自らのなかから抜け出ようとする生霊をとどめかね、いかに苦しんだことだろう。その懊悩を思わずして、ひとくくりの”物の怪”として御息所に負いかぶせてしまうことの不条理・・・たとえ千古の昔の物語であろうと、私は御息所にこころを寄せてしまう。

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☆お写真は”綾の森”の秘密の場所で出会った「ささゆり」さん☆
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# by daybreak-of-gaia | 2014-01-19 17:35 | こころのおと

白い花がふりしきる

生死の中の雪ふりしきる

種田山頭火

***

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「生死」はおそらくは「しょうじ」と読むのであろう。「せいし」であれば、「中」ではなくて「間」でなければ意味が通じないような気がする。「しょうじ」であればこそ、生死の繰り返されるこの世界という意味も、あるいは自分のこの一生という意味もそこに含まれて、その「中」に「雪」が降る意味もある。「生」と「死」というこの世の表と裏のひとつとしての「雪」が 今「ふりしきる」。

〝生死の中の雪ふりしきる″・・・捨てても捨ててもまだ煩悩が捨てきれいない。だからこそ、山頭火は私たちの代わりとなって、己の生死という生きる上での人としての苦悩、煩悩を捨てたいがために、ひたすら歩き続け、句を詠むしかなかったのではないか。

そして、今日もまた白い花がふりしきる〝綾の森″をひたすら歩きつづける私がいた。花一輪に励まされながら・・・
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# by daybreak-of-gaia | 2014-01-19 11:10 | かぜのおと

紅の涙

雨の山茶花の散るでもなく

種田山頭火

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冬の寒い寒い雨の日に 私は”綾の森”にひとり
いつものところ
あなたと歩いたところ
紅い紅い山茶花が ぽつねんと咲いていました

ひとはせつないとき
花のそばにやってきます

花は 咲いているだけなのに
水は 光っているだけなのに

花のかずを かぞえるのは
時をはかる方法
ながれる 時の長さを
あなたへの届かぬ想いを
消えていく愛を

☆蘇芳色の紅い色は女の芯(真)の色です。紅の涙と言いますが、この紅の領域には、深い女の情をもった聖女も娼婦も住んでいるといいます。
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# by daybreak-of-gaia | 2014-01-18 23:22 | かぜのおと

『幻花』・・・紙の月

ひとはすべて白のままでは生きられない
窮極の白を何によって汚すのか

それは紅 
新しい年を染め上げる紅である

焼天に刺す光 
ひとびとのなかにも刺す
生命の突端の色

それは白と紅ではあるまいか

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# by daybreak-of-gaia | 2014-01-18 21:52 | かぜのおと

桜の精

春雷の鳴り響いた夜
私のこころの奥に光を感じた
何かが始まったにちがいない

あなたはしずかにしずかに
そしてしっかり結び合うことの大切さを
教えてくれた

もうすぐ春睦月
きっと大きな風が吹く

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いつもの秘密の場所の山桜に逢いに行くも、私にはこの時撮ったこれ以上のお写真が撮れない。

若狭湾に面する常神半島に神子(みこ)の山桜というのがあるらしい。
見頃は4月10日過ぎ。
福井なら京都からも近いし、これは逢いに行くしかない。

*******

私は染色を少しばかりする。
先日染色家の友人に、「今年こそは桜の花弁で桜染めをしてみたい」
と言ったら、桜は花弁ではなく、あのごつごつした樹皮や枝で染め上げるのだと教えてくれた。

その時、私は詩人大岡信の〝言葉の力″のこんな下りを想い出した。

『人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものだはなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである』


これを読んだ時、私は即座に納得した。花はすでに咲いてしまったのだから、
そこから色は出ないのである。樹全体の一刻も休むことのない活動の精髄が
桜の花弁の色になるのだから、言葉の世界の出来事と同じではないかと感じた。

そして、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。
春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、
木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。
花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。
桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、
ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。

一見したところ全然別の色をしているが、全身で花弁の色を生みだそうとしている大きな幹は、
一語一語の花弁のように、自分の想いや願いを言葉として表わそうとしている私と同じではないか。
その想いを大切な相手に伝えようと、全身全霊で、己の細胞を時に激しく、時に静かに揺り動かしている
私と同じではないかと・・・

そう想い始めると、私の中の桜への想いがますます募ってゆくのである。
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# by daybreak-of-gaia | 2013-03-03 11:36 | こころのおと